椿の海サミット2024について
「椿の海サミット2024」は盛況のもと終了いたしました!
中世戦国期の日本においては、西日本から東北に向かう太平洋航路について、犬吠埼の沖合が、親潮と黒潮がぶつかる 複雑な海流の場所であり、さらに岩礁が存在するなどのことから海の難所となっていました。 当時の日本においては、海難により破船が起こると、漂着地の住民が破船の積み荷をすべて自由に処分できるという慣習があったため、荷主としては、何としても積み荷については、海難事故にあう ことなく、目的地まで安全に届けさせなければいけないという課題 がありました。 こういった背景もあり、中世戦国期の日本においては、西日本から来た船は、難所の犬吠埼を避けて、東北に向かうために、当時の関東地方の内陸部の多くが湖沼や河川により、水郷的(クリーク)な場 所となっていたことを利用して、内陸部の湖沼や河川を連携させ、 これを伝い船を東北地方に向かわせていました(図1参照)。
これらの船は、房総半島をまわり、上総と下総の国境となっていた、栗山川の河口沖合まで来ると、この河口から、栗山川に入り、遡航し、今の香取郡多古町の島まで来るとさらに東に向かうために、支流の借当川に入り、これを遡航し、借当川の源流地域であ る匝瑳市飯塚あたりで、丘越えをして、当時存在した南北4キロ メートル、東西12キロメートルの巨大な湖、椿の海(図2参照) を横断し、香取郡東庄町の大友の辺りを次に丘越えして、桁沼(戦国期まで現在の東庄町笹川付近にあった湖沼)を通るか、あるいは、旭市の関戸付近から丘越えをして、黒部川に入り、小見川辺りからか、それぞれ香取の海(今の霞ヶ浦)に出て、さらに今の北浦を北上し、涸沼から河川を下り、那賀川の河口の沖合に出て、そこから東北に向かっていたと推定されています(図1参照)。そしてこのコースは東北から西日本に向かう場合も逆ルートとして、活用されていたと推定されています。
椿の海は、この内陸を巡る航路(以下 「内陸太平洋航路」といいます。)のまさに 中間に位置したものであり。江戸時代に幕府による食料増産計画による干拓により消滅するまでは、湖畔にいくつもの内陸太平洋航路の湊ができ、繁栄した湖でした。そして、その湊を守るために、湊の近く に多くのお城、いわゆる水城が築かれたものでした(図3参照)。
これらのお城は、縄張りとしても個性的な城郭が多くあるとともに、歴史的に見 ても、関東の雄、平将門からの系譜を持つ ものであり、将門の志を引き継いだともいえる、平忠常の居城であったと伝わる香取郡東庄町の大友城やこの地域に戦国期に 覇を唱え、海上から攻めて来た里見氏と激しい攻防を繰り広げた千葉氏系の鏑木一 族の本拠となった鏑木城(旭市)、秀吉の命により、木曽義昌が城主となった網戸城 (旭市)、戦国期の武士の日記として著名な「松平家忠日記」を著した松平家忠その人が城主をつとめた桜井城(旭市)など、 歴史的にも大変興味が深まるお城が目白押しの場所です。今般千葉城郭保存活用会と匝瑳城郭保存活用会、(一社)旭市観光物産協会、東庄町観光協会、匝瑳市観光協会の5団体は、この椿の海と周辺城郭群を新たな地域資源として活用すべく、5つのイベントの集合体として、「椿の海サミット2024」を2024年1月20日㈯から4月27日㈯の間開催します。皆様のご参加、心よりお待ちしております。 「椿の海サミット2024」 主催者 共催者一同
「椿の海サミット2024」実行事務局
椿のサミット2024 各イベントの詳細とお申し込み等について
① 椿の海~歴史トーク&コンサート(←さらに詳しい内容はこちらをクリックください)
② 山城ガールむつみによる講演会&郷土史関係者とのトークショー(←さらに詳しい内容はこちらをクリックください)
③ 山城ガールむつみと巡る椿の海と周辺城郭のバスツアー(←さらに詳しい内容はこちらをクリックください)
④ 中世の遺構と水域を巡るウォーキングツアー(←さらに詳しい内容はこちらをクリックください)
⑤ 椿の海~九十九里浜の城郭を巡るウォーキングツアー(←さらに詳しい内容はこちらをクリックください)
主催:千葉城郭保存活用会
共催:匝瑳城郭保存活用会、(一社)旭市観光物産協会、匝瑳市観光協会、東庄町観光協会
後援:(公社)千葉県観光物産協会、旭市教育委員会、匝瑳市教育委員会、東庄町教育委員会、(株)塚原緑地研究所、㈱マグネット、多古城郭保存活用会、観光考古学会、近畿日本ツーリスト㈱千葉支社
協力:東日本旅客鉄道株式会社千葉支店
お問い合わせ先:小室 090-3084-1258