スポットは以下の10ケ所となります。
① 本千葉駅(35.6018503,140.1207196)
本千葉駅はJR外房線、内房線の停車駅です。当初は「寒川駅」という名称で、明治29年に開業しました。明治35年に「本千葉駅」改称されました。 本千葉駅の住所は「長洲」、すぐ西側は「港町」という住所です。かつて、この近くまで海だったことが分かります。
② 寒川神社(35.5971602,140.1199464)
ここ寒川神社は千葉氏の信仰のシンボル「妙見」を祀っています。千葉一族ゆかりの神社だったことがわかります。かつてはこの付近が都川の河口部だったようです。古くから、海上の安全を祈願する神社として大事にされていたと伝わります。このことから千葉の市街地が、千葉氏の時代から、海と密接に繋がっているエリアだということが偲ばれます。
③ 君待ち橋の碑(35.6012448,140.1189022)
石橋山合戦後に安房に渡った頼朝を千葉一族がこのあたりで出迎えと伝わり、「君(頼朝)待ち橋」の由来になったと伝わっています。そのときに、千葉常胤(つねたね)の6男胤頼(たねより)がここで歌を詠んだとされます。この胤頼はその後東荘(現在の香取郡東庄町周辺)を領地とし、東(とう)胤頼と呼ばれています。胤頼は優れた歌人でもありました。胤頼を祖とする東氏は現在の岐阜県郡上市にも領地をもらい、勢力を広げました。千葉一族は全国に広がって活躍しています。
④ 白幡神社(35.6035525,140.1138889)
白幡神社の創建年代などは不明ですが、古くは「結城稲荷」と呼ばれる神社があったようです。ここ白幡神社にも源頼朝の伝承が残っています。頼朝が石橋山の戦いで敗れ、安房に逃れると、千葉一族は頼朝を迎えました。そして、千葉にやってきた頼朝は、この神社に立ち寄り武運を祈り、白旗を奉納したと伝わります。以来、「白幡大明神」と称し、明治時代になって、「白幡神社」と社号が改められたといいます。白幡神社の境内でお参りしていると、頼朝率いる軍勢と、それを迎え入れた千葉一族の姿が目に浮かぶようです。
⑤ 宗胤寺跡(35.6054004,140.1226330)
かつてここには、千葉宗胤(むねたね)が創建したとされる「宗胤寺(そういんじ)」がありました。昭和20年の空襲で焼けたため、現在は中央区弁天に移っています。宗胤は千葉氏の当主として、一族や家臣のためにこの寺を建てたとされています。宗胤の父頼胤(よりたね)は元寇(げんこう)と呼ばれる蒙古襲来のときに、九州でモンゴル軍と戦って戦死しました。これにより、宗胤も九州で戦い、千葉氏の領地のひとつである肥前国小城(現在の佐賀県小城市)でモンゴル軍の来襲に備えました。小城を拠点に九州で勢力を広げた九州千葉氏はこの宗胤の系統です。ちなみに、この宗胤寺跡の付近が鎌倉時代の千葉氏の館跡の有力推定地とされてます。
⑥ 羽衣の松(35.6040619,140.1227645)
この「羽衣の松」は、天女が自分の羽衣を掛けたという伝承の残る松です。かつて、この周辺に「池田の池」という美しい池があったといいます。池田の池で水浴みをしようと、美しい天女がこの松に羽衣を掛けました。そして、水浴みをしていたところを千葉氏の祖といわれる平常将に見初められ、夫婦になったと伝わります。伝承ではあるものの、市役所や県庁が建ち並ぶ市街地にこのようなロマン満載の物語が残っているのは素敵です。
⑦ 大日寺跡(35.6111920,140.1232227)
ここにはかつて「千葉家累代の墓塔」と伝えられる五輪塔群を有する千葉氏ゆかりの寺「大日寺」がありました。すぐ隣にある千葉神社は千葉氏の守護神「妙見」を祀る神社です。かつて、この妙見宮と大日寺は神仏習合の形態をとっていましたが、明治時代の神仏分離令によって、「千葉神社」となりました。
昭和20年の空襲で大日寺が焼失したため、現在は稲毛区轟町に移っています。まさにここが千葉一族の信仰を集めた一族にとって大事な信仰の場所なのです。
⑧ お茶の水(35.6059549,140.1256944)
ここにはかつて湧水がありました。そのため、いまでも「お茶の水」と呼ばれています。この「お茶の水」には、源頼朝と徳川家康という二人の歴史上の偉人にまつわる伝承が残っています。頼朝が千葉一族に迎えられ、千葉にやってきたとき、千葉常胤がこの湧き水を使って、頼朝に茶を点てたという伝承です。真偽の程は分かりませんが、千葉氏の館近くにこのような伝承が残っているのも、頼朝と千葉氏の近しい関係性を表しているようで面白い伝承だといえます。 また、江戸時代に家康が鷹狩りときに千葉に泊まったといい、この湧水でお茶を点てて飲んだとも伝わります。もう湧水は涸れてしまっていますが、頼朝や家康の伝承に思いを馳せるのは楽しいものです。
⑨ 猪鼻城跡の千葉常胤像(35.6046816,140.1268306)
千葉が千葉氏の本拠地となったのは、千葉常重が大治元年(1126年)に大椎から千葉に拠点を移したことに始まります。当時の居館の位置は現在の裁判所のあたりといわれています。千葉氏は鎌倉時代、南北朝時代に一族の間でお家騒があったものの、約330年に渡り、この地を拠点として発展しました。
享徳の乱(1454年)が起きると、家中で内紛が起き、本家が滅亡しました。それにより、本家を滅ぼした馬加康胤の子、輔胤が千葉宗家を継ぎ、猪鼻城から本拠を本佐倉城に移すと、猪鼻城は家臣原氏の居城となりました。猪鼻城の現地に残る土塁などの遺構は、戦国時代の原氏の城の遺構です。 猪鼻城跡にある「千葉市立郷土博物館」には千葉氏の歴史を学ぶことができます。ぜひお立ちよりください。あわせて、喫茶「いのはな亭」ではお団子やお茶など甘味を楽しむことができます。
⑩ いのはな亭
ぶらぶら千葉氏の歴史めぐりの最終ゴールです。戦国時代猪鼻城跡に位置します。
茶店で軽食、スィーツ、飲み物メニュー、和空間でのおもてなしを行っております。いのはな亭からは日本庭園越しに千葉市立郷土博物館(猪鼻城模擬天守)が望めます。
最終のスタンプはいのはな亭入口付近で獲得できます。ここでコンプリート処理をすれば、各Spotの写真が全てコンプリート画面に切り替わり、特典を獲得できます。